同類を見つけた時の喜びと自己嫌悪。

しらすじゃっこです。

 

家庭の問題に困っている人の愚痴を聴くのが嫌いではありません。

親との問題に悩み、「憎い。でも親だし。愛してほしい。いや愛されてきたはず。逃げたい。けどほっとけない」とジレンマに陥りぐるぐるしている人の隣で、その迷いを見つめるのがいやではありません。

むしろ、そのそのもがく姿が人間的で、愛おしいです。悪趣味なのは承知しています。

 

その理由は昔も自分が同じようなぐるぐるの中にいたからです。

もしかしたら、今も渦中にいるのかもしれませんが。

自分と似た境遇にいる人を見つけて、仲間を見つけたような気がして嬉しくなるのです。そして、かつて自分が感じた苦しみや悶えを思い出し、その人が少しでも楽になればいいと思いつつ話を聴くのです。

 

同時に、私はそんな自分自身を嫌悪します。

個人の苦しみなんて一つとして同じものはないのに、要素だけみて勝手に同類だと思い込んで、傲慢にもその苦悶の理解者ぶるとはなんともあさましいじゃないか。

誰かの問題と自分の問題を重ね合わせるなんて、一歩間違えば共依存の危険を孕んでいます。

自分が助けてほしかったからって、その欲求を他人に投影するのはどうなんだ。

 

割り切れない二律背反を抱えながら、それでも彼や彼女が抱える親との関係の迷路を話されてしまったら、私は聞き入ってしまうのです。