個人の備えには限界があるから、社会規模でセイフティネット作っといたほうがよくない?

しらすじゃっこです。

 

昨今予測のできない社会ですよね。そして楽観視はできないような。

日本だと、天災は起きるし、不景気の出口は見えないし、格差は広がってるし。

世界だとイギリスのEU離脱もトランプ氏当選も予測を裏切った結果が出ましたし。

そこから政治経済にも影響が波及するのでしょう。

 

社会的弱者の支援が、ニュースなどで取り上げられることが増えました。

貧困問題、ワーキングプア奨学金返済。自分の専攻のせいで偏ってる問題ばっか出てきますけど。

 

この支援の問題に、自己責任論がよく登場します。

苦しい境遇は自己責任なんだから、支援を必要はないってことです。

 

そう言える人の多くは、きっと社会的「強者」でしょう。

ただ、いつもこれを聞いて、彼らは自分が社会の落とし穴に落ちて、自分が弱者になることを毛ほども想像していないのだろうと思ってしまうのです。

 

残酷ですが、現在の世界は真面目に生きていたからと言って、生活が保障され続けるわけではないです。弱者になるのは、自業自得の方もいるでしょうが、人生の中で不幸なトラブルにあってしまった人もいます。

私は、境遇が似てる人だからといって、まとめて「人生怠けてたんだろ」とはとても言えません。

 

誰しも弱者に簡単に落ちる世界。私は今の世界をこうとらえています。

そして、その世界で弱者になると、個人の努力だけでは這い上がれない状況に陥ります。這い上がれるのは、能力や人脈など、落ちても恵まれた資本が残っている少数の人で、さらにそれを使いこなすことにも運の要素などが絡んできます。

 

個人で非常時に備えたところで、たかが知れています。その備えで何とかなるのは社会の落とし穴じゃなくて、道に転がるただの石ころレベルの災難です。

 

弱者への支援を切り捨てる考えを持つ方はいらっしゃるでしょうが、それがまかり通って優しくない社会ができた中でその方が弱者になったら、今度切り捨てられるのはその人です。

そんな目に合ったら悔しいでしょう。助けてくれないなんてひどいと思うでしょう。

でも、その道筋を作った一人はその人です。

 

自分に余裕がある側のうちに、弱者を包括する余裕がある世界に向けて少しずつ舵を切っておく。そうしておけば、もし自分が困ったときも、世界を頼れるかもしれません。

 

理想論ですが、自分の首を絞めかねない世界より、自分の立場が変わっても大丈夫な可能性が高い世界のほうが安心でしょう。