「学生時代頑張ったことはなんですか」「家庭内サバイバルです」

しらすじゃっこです。

就活面接の代名詞「学生時代頑張ったことは」(通称ガクチカ)。

私これ聞かれたら、許されるならタイトルの台詞言いたいんですよね。

 

うちの家庭は父親が私が中2の時に人員整理でリストラされてるんですが、そっから子どもへのモラハラと暴言の嵐でして。大学2年ぐらいまで家庭の空気がギスギスっていうレベル通り越して一触即発、父子の冷戦状態になっていました。

リストラされて無職になるし、仕事不況で見つからないし、一応有名な企業社員だったのにプライドもボロボロになるしで、元々器の小さい、脆弱な精神構造の父は追い詰められた結果、子どもにうっぷん晴らしをすることにたどり着いてしまいました。おいおい父さんそりゃないぜ。

具体例

子どもがよそったカレーに肉が少ないといい、「えーじゃあ自分で調節してよ」といった瞬間に「親に向かってその口の利き方はなんだ!」

中3の受験期、父のリストラで収入がなくなった家のため必死に学費が安い公立の志望校を目指していた子どもを横目に、教育サービスの勧誘からの電話に対し「うちのは高校行きませんから」

失敗した姿をみて「だからお前はだめなんだ」と心底嬉しそうな嘲笑

叱る口実を見つけた瞬間から始まる罵声と人格否定の怒鳴り声

この辺が序の口ですかね。正直死ねと思った。

衣食住は確保されていた環境だったのは救いだったけれど。

 

父がいつ切れるかわからないから家庭の会話が地雷原をはだしで歩くような感じでした。本人とも極力エンカウントしたくないから、帰るの遅くする、目を合わさないようにする。父がいるリビングに行かない&家の中を逃げ回る(高校入るまで自分の部屋がなかった)などなど。

あと、まともに相手しても消耗するだけだから受け流す努力とか。結局怒りを抑えるのにもエネルギーが必要だったことに後々気づきましたが。

 

他の子が普通に学生生活にエネルギー全部注いでた時に、私は大部分を家庭内のゴミクズ野郎に割いていたのかと思うと絶望します。

その反面、恐らく精神的に過酷だったと思われるあの状況下を生き抜いた自分に対し、ある種の誇りを持っているのも事実です。

 

一般的に、親のことを悪く言うことはタブー視されるように思います。

就活面接で「父のモラハラから辛抱強く自分を守り抜きました。私は困難な状況に耐えうる精神力があります。」なんていったら面接官ドン引き必至です。

それでも、この一件は今の私を形作った事件で、私を語るのにこれ以上の題材はないんですよね。絶対言えないし、理解されないけれど、一番言いたいこと言えないのはちょっと悔しいなあ。

 

ほんとの面接ではもちろん別のネタ用意して話しますけど、せめてこのブログぐらいなら書いてもいいですよねー。

 

もし、親との問題とか、なかなか誰かにわかってもらいにくいことで悩んでいる、あるいは悩んだ過去がある人がいたらこう伝えたいなあ。

「他人に理解されがたい領域で苦しむ孤独、きっとつらいことと存じます。

私の経験はあなたから見たらちっぽけで、こんなやつから励まされるのは嫌かもしれませんが、それでも自分の人生を生き抜こうと立ち向かっている、あるいは立ち向かったあなたの生き方に私は尊敬と敬意を示します。」

偽善者かな。でも生き抜いた努力の経験が、生き抜いたその人自身を含む誰かに認められないのは、少し悲しいと思うのです。

まあ雑魚(と書いてシラスと読ませたい)の戯言だと思って。