人間も宇宙人だよね…。
最近の口癖は「地球にいるのやんなっちゃったー帰りて―」です(どこにだ)。
しらすじゃっこです。
自分が人間だと思っている人は多いと思うんですけど、宇宙人だと思ってる人はすくないんでしょうか。宇宙人ですよね私たち。地球人。
さんざんグローバル化とか耳タコですけど、感覚として地球は狭くなったんだなあと思います。様々な情報が入ってきて、すべてを知っているわけではないけれど、地球上の情報は人類に共有されるようになって。
移動もその気になればどこでも行けるし。トランプ氏が大統領になったときアメリカ人がカナダの移住サイトに殺到したときはちょっと笑った。
最近、なんで自分地球人なんやろ?と漠然と感じます。
いやほかの惑星の生命体とか知らないですけど。なんかみんな疑いもなく人間やってるのに(日本だから「日本人」か)自分だけなんだか違う星から留学でもしてきたような。国じゃないのかって感じですが。
人間もこの惑星の一種族で、アリとかの生態を見るように人間の生態ももちろんとらえられるよなーと。
生物学とか人類学とか好きですけど、でも人間視点から完全に離れられるものではないのかなあなんて。
人間じゃないものへの憧れが強くなってるのかなー。疲れてるかなー。
幽霊になって世界をふらふらしたい。
幽霊気分になるのが好きです。
大学構内で誰もいない階の空き教室で、自販で買ってきたコーヒーを飲みながら課題やったり。
都会の街中で、人が少ない物陰に隠れて人を行きかう人をぼんやり眺めたり。
懇親会で、そっと人の集まりから離れて、隅っこで静かに話している人々の表情をみたり。
(自然の中で一人きりも素晴らしいですが、一度鞍馬山に一人で登った時は命の危機を感じたので幽霊になるのは時と場所を考えたいと思います)
存在感を希薄に。無個性に。誰の目にも入らないように。
干渉されることもすることもなく。いてもいなくても世界が変わらないようなモノになりたくなることが、あります。
世界と切り離された感覚は、少しの寂しさと、それに勝る開放感を併せ持っています。
ただただぼんやりと世界を見つめたい時は、自分が自分であることを忘れるのです。
私というフィルターがないことで、より世界をそのまま味わえる楽しみがあると思います。
人間は名前や顔や出自などの情報をたとえ捨てたところで、感性や思考回路まで捨て去ることはできません。
自分から完全に逃げることは不可能です。
それでも、私は私の人生に疲れたとき、気持ちだけでも自分ではない、もはや人間でもないなにかになりたくなるのです。
ネットでは「名無しの権兵衛」でいたい。
しらすじゃっこです。
SNSしかり、ブログしかり、実名や顔など、個人情報をネット上でさらすケースが多くなったと感じます。
「プロブロガー」なるブログを自分のメディアとして使い稼ぐ人も出る時代。
「ユーチューバー」似てるのかな。
私はまだまだ感覚がアナログで、極力ネットにリアルの自分を出したくありません。
ブログ書いてるくせにね。
LINEやツイッターなどは使ってはいるものの、私にとって基本的にネットは現実と切り離されたものです。現実の出来事から記事をつらつら書いたり、ネットで知った情報を現実で生かすことはしますが、ネットと現実の付き合いなどは混ぜたくありません。
時代遅れかもしれませんが、現実のつらみのはけ口としてネットを使っている分、現実のあれこれでネットでの自分の世界が侵されるのは防ぎたい。
現実の私に疲れたらブログを書いて、「どこかの誰かさん」になるのが楽なのです。煩わしい縛りはなく、いてもいなくてもいい存在、無個性の何かで揺蕩うのが癒しなのです。
かっこつけに疲れました。
しらすじゃっこです。
就活の自己アピールなどは顕著ですが、「実際の自分よりすごい姿を相手に見せねばならない」機会が増えているような。「盛る」ってやつですか。
息をするようにそれができる人もいますが、私は正直無理です。
自分の良さがわかってる分、性能の悪さも知っていて、でもそれを言わないまま売りつけるのは詐欺の気がして。
それに一回だましたら、嘘をつき続けなければいけない。真になる可能性もありますが、それまで走り続けるのは辛い。
ガキくせえと思いますが、それでも結局自分が苦しいだろうなと思うだけです。
だからといって素のままで勝負できるほどではないけど。
自分一人なら自分のいいとこも悪いとこも受け入れてのんびり生きて行けるけれど。
社会に入ると私の要素に勝手にラベルが貼られて仕分けされていく。
ラベルによって、可もなく不可もなかった私自身に評価が下される。
自分が人間からモノとしてチェックされるようで、本当はとても嫌です。
甘えてると思われるから言わないけど。
■
家族神話が苦手です。
家族という事実だけで、仲良くやっていけるとは全く思いません。
所詮他人なのだから、不断の相互理解努力によって、家族という一組織を運営しなければ簡単に崩壊するものでしょう。
冷めた考えですが、組織は個人が集まったもの。まず個人ありきです。
個人を尊重する考えがあって、居心地のいい組織ができるのではないでしょうか。
社会ではよくても、家族の範囲になると一気にその事実を忘れ、個人の問題を侵食するケースが多いと感じます。
親が子供の進路を決めてしまうとか。
子どもが親の老いを認められなくてあたりちらすとか。
どこかに「家族なんだから踏み込んでも大丈夫」という甘えを感じます。
親が子の人生に過干渉するのも、子が親に理想を押し付けるのも、お互いにとって不幸に終わります。
過剰に家族であることに期待するから、思い通りにならないときに疲れるのです。
個人として付き合えば、関係性の見方が変わります。
家族として許せなかった人でも、個人として見れば寛容な気持ちで付き合っていけるかもしれない。
しらすじゃっこでした。
一日眠り続けるのは鬱なんですかね。
しらすじゃっこです。
最近昼夜反転しかけててよくない。実によくない。
日中の睡眠欲がやばい。いかに寝るかばかり考えている。
精神的に疲れると寝逃げして回復するタイプではあるけど、これはもう現実逃避レベルです…。
もしかして過眠症?嫌だなあ。
諦めさせてくれない。
しらすじゃっこです。
図らずも自分が付きたい職業の方にお話をきくことになってしまいびびった。
なんか失礼してないか不安。考えるのやめようトイレに流そう。
難関だから諦めたいんだけど、でもなかなかあきらめきれない。諦めさせてもらえない。諦めかけたタイミングでなんかある。一発でなれるかわからないけど、方向として目指し続けろってことかね。
よりによってなぜこの職業だ。凡人につらいわ。
お話を伺うけど、こんな準備不十分の無能の雑魚にお時間割いていただくのが申し訳ない。でも参考になるので聞きたい…。
どうでもいいけど質問するとき、本題に入る前自分がどういう人間かずーっとしゃべる人いるけど、あれは何なんだろ。質問は自己アピールの場だったのか。知らなんだ。
私はお時間をいただくのが申し訳ないからできるだけ短く聞かなければと焦るタイプ(そして言葉が足らなくなる。あかんやつや。)
とりあえず明日お礼メール送らなければ。出しとくと気が楽。こちらの。失礼しててもちょっとましになるのではと…。
しらすじゃっこでした。